古代遺跡と大自然が生んだ

   不思議な風景

   アナトリアでは、古代より

   多くの民族、文明が栄え、

   そして、ビザンチン帝国が

   滅び、中東の大部分を占め

  るオスマン帝国が登場

 アジアとヨーロッパが

出会う土地に、

イスラム文化が融合

飛んでイスタンブールは

エキゾチックな都市

 広大なトルコは、見所

が全土に広がる



ネムルト山(ネムルトダーゥ)


 ネムルート山は、トルコの東部に位置する標高2,134メートルの山で、19世紀の終わりにオスマン帝国の軍隊により、山頂に人工的な建造物があることが、偶然に発見されました。 その後、1881年にドイツの技師カール・ゼシュターによって本格的な発掘調査がはじめられました。

 山頂には、コンマゲネ王国のアンティオコス1世が紀元前62年に建てた王の座像と、 9メートル近い巨像が並ぶ巨大な墳墓があったと言われていますが、現在に至るまで埋葬の施設は発見されていないため、宗教上の儀式を行う場所であったという説と、王の墓所であったとする2つの説が、未だ結論が出ないままであります。

 頂上部分には、王の座像、2羽の鷲、2頭のライオン、ギリシャ神話やペルシャ神話の神々の像等が並んでいます。神々の像にはゼウス、アポロン、ヘラクレス、テュケ等、どれもギリシャ的な顔形と、ペルシャ的な服装や髪型の特徴を備えています。山頂部分は、小石が積み上げられていますが、この小石は像を作った後に残った石の破片を再利用したと考えられています。

 ネムルート山の山頂には、アンティオコス1世の墓があり、玄室も存在しているという説は考古学界に支持されていますが、小石を積み上げて造られているため崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性も非常に難しいことから、発掘調査ができない状況にあります。玄室も小石を積み上げて造られていると推測されており(これは盗掘防止のためと、考えられています。)、このような建造技術は現代には伝わっていないため、復元不可能という考えが多くを占めています。

 王や神々の座像には名前が刻まれていますが、いずれの座像にも首から上がありません。それらの頭部は、像の足元に散在しており、鼻などの破損も見られます。このことは、地震により頭部が破損して落ちたとする説と、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒により壊されたとする2つの説が存在します。

 他には、レリーフの施された石版も見つかっており、それらは壁を形成していたと考えられています。そこにはアンティコス1世の系譜が刻まれており彼の起源が記されていました。

 神々の像はいたるところにありますが、東側と西側に最も集中しています。西側のテラスには、星の配列を眺める獅子のレリーフが刻まれた石版があり、紀元前62年6月7日を示しています。この日付は建造がスタートした時期を示している可能性があり、東部の保存状態は良く、東西のテラスを結んでいた廊下の痕跡なども残っています。

 1987年に世界遺産に登録されています。