ペルシア帝国の都ペルセポ

 リス、かつての世界の半分、   イスファハン

 北と西には4,000メートル

 の山々が連なり、

 東部に広大な砂漠が広がる

四季の美しい風景の中で、ペルシア文化、独自のイ

スラム文化を育んで来た~

出かけよう!イスラムの

教えのもと心温かき人々

が平和に暮らすイランへ



ペルセポリス


ペルセポリス

イランにある世界遺産の中でも最大級の見所で、シラーズの北約57キロメートルの位置に、ダリウス大王によって紀元前520年頃に建設が始まった。なぜこの地に建設されたかははっきりしないようであるが、ポルヴァール川の下流に位置し、この川は、建設用の石材の運搬に活用するのに便利だったこと、アケメネス朝の創始者・キュロスの造ったパサルガダエがこの川の上流に位置していたことによりダリウス大王が、アケメネス朝の創始者を意識したことによるものと考えられている。

ペルセポリスと言う言葉は、ペルシア人の都というギリシア語が起源で、総面積が125,000平方キロメートル。 当時の行政上の首都はシューシュだったが祭儀、重要な儀式はすべてここペルセポリスで行われていた。 ダリウス大王によって工事が始められ、その子のクセクセス?世によって完成。緻密に彫られたレリーフからは、当時のアケメネス朝の栄華がうかがわれる。 しかし、紀元前331年、アレキサンダー大王によって陥落。 宮殿は廃墟と化す。     

見所

遺跡に向かう正面に左右に折れた岩盤から直接切り出した大階段がある。 馬で上がれるように段が低い。岩盤に亀裂が入っているところは、石を詰め、鉄の楔で固定し、鉛を流し込んで楔を動かないようにしている。しかし、今では鉄はほとんど盗掘されてしまっている。 上にあがるとクセルクセスの 「万国の門」があり、落書きの多いところである。 門を抜けて右手に進むと、壮大な「謁見の門(アパダーナ)」 である。 約20メートルの石柱が13本ある。革命時、1本が崩壊したが現在は修復された。「謁見の間」の東側に朝貢浮き彫りの図がある。糸杉に区切られた23の場面に、属州の家臣達が土地の特産を持って大王の謁見を受ける為に連なっている。エチオピア人、エジプト人、リビア人、インド人など・・・ 当時のアケメネス帝国の栄光を表している。大王は、多く のワイロを受けていた。。。。。  一番の大部屋は、「謁見の間」ではなくそこから右手前方の、クセルクセスの「百柱の間」 であるが、ここは損傷がひどくほとんど原型を留めていない。ここが出火元であったようである。アレキサンダー大王がペルセポリスを焼いたには色々な理由が考えられている。 ひとつ目は、アル中であったため・・・ ペルセポリスを焼くかどうかの重大な判断をあやまった。 (しかしこれには、かなりの疑問が残る!?!)アレキサンダー大王がペルセポリスを焼いたのは、ペルセポリスがアケメネス朝の祭儀用の聖都でそこを炎上させることによってギリシャの勝利を誇示したかった。 「百中の間」 から燃え上ったのは、ここを造ったクセルクセスがアテネを破壊したことへの復習でもあるのではないか。

ダリウス大王の宮殿は、「謁見の間」より2メートルほど高い所にあり、たくさんの石組みが今も立っている。よく磨かれているので「鏡の間」とも言われているが、革命後、立ち入り禁止部分ができ人の手が触れることがなくなったので今では石が輝きを失い、もはや 「鏡の間 」 ではなくなっている。 この西の端からは、マルヴァダシュト平原を見下ろすことができ、王の気分になれる。

最後に、博物館、加えてハーレムの部分を見学すれば、おおよその見所は見学したことになる。

その他の見所

ペルセポリスには、2つの 「百柱の間」がある。山の方に向かって 「百柱の間」 の右隣の区間。そのさらに右隣には、「九十九柱の間」がある。これらはふたつとも柱が木材であった為、礎石しか残っていない。宝物館だったところである。礎石に丸や十字やいろいろな形が彫りこまれているのは、当時の石工は出来高払いで報酬をもらっており、自分の仕上げた仕事(石)に、自分のマークを刻み仕事の出来高がわかるようにしていた。このペルセポリスの中で、建設当時のまま残されているものは・・・・  遺跡のあちらこちらに水路が走っている。 

遺跡の地下にも排水路が通っており、地下の排水溝に下りる階段と排水溝の一部がほぼ完全な姿で残っている。この階段のあるのは「百柱の間」のさらに奥の遺跡のはずれにある。ペルセポリス建設の際にかかわった人々は、遺跡の周辺に日干し煉瓦の家を建てたり、テントを仮設して仕事に従事していたと思われる。 遺跡に向かって左手の角のところに奇妙な形の大岩がある。縦に切込みが何箇所か入って、石を切り出した残りである。切り込みに乾燥した木材を押し込み、水を注いで木材の膨張で岩を割った。

ペルセポリスから北へ車で10分ほどのところにあるナグシェ・ロスタム。 そこに刻まれたササーン朝の浮き彫りの王を、「王書」 の中の英雄ロスタムと思ってこのように呼んだ。ここにも、ペルセポリスにも建造主の王の名前は一切残っていない。 ペルセポリスのある平原の高度は、約1,600メートル。 その背後にある岩山は、平原より620メートルの高さであるが、そのばから少し離れるとこの壮大な遺跡がどこにあるかわからないくらい小さく見える。