ペルシア帝国の都ペルセポ

 リス、かつての世界の半分、   イスファハン

 北と西には4,000メートル

 の山々が連なり、

 東部に広大な砂漠が広がる

四季の美しい風景の中で、ペルシア文化、独自のイ

スラム文化を育んで来た~

出かけよう!イスラムの

教えのもと心温かき人々

が平和に暮らすイランへ



チャドルとスカーフ


チャドル

半円形に布地を継ぎ合せ、全身を覆う布のことで、色は黒を中心に、模様の入ったものや黒以外の色のものもある。 木綿のものから少し厚手のものまで有る。 イランでは体を覆うものをへジャーブという。 黒のチャドルは、外出着、フォーマルな場所で使用される。イランの女性は子供の頃から、チャドルを身につけているので上手にチャドルをまとう。 チャドルもそのままではずりおちてしまうので端を口にくわえたり、チャドルの裏にゴムやマジックテープを付けて頭に引っ掛けるようにしたりしている。 イランでは、女性は自分の親兄弟、夫、子供以外には体の覆う部分は見せてはいけない事になっている。 女の子は何歳くらいから体を覆うのかというとまちまちだが、小学校に上がる頃にはスカーフで髪の毛を覆ったり、マグナエと呼ばれる頭巾のようなものを被る。 地方とテヘランなどの大都市では、やや違うが、大都市では高校生以上になるとコートとズボンにマグナエ姿が多いが、地方ではチャドル姿が多く見られる。 チャドルのスタイルも地方により色々な特徴が見られる。 南部の湾岸地方では、スカーフをして尚かつ独特のマスクをつけて顔を隠す。 またこの地方では夏の暑さの為、チャドルもレース地のものもある。 ウズベキスタンの国境近くでは、花柄の大き目のスカーフをしている。

女性が体を隠す習慣

イランだけではなく、女性が体を覆い隠す習慣は他のイスラム諸国でも見られる。 これは、イスラムの聖典「コーラン」にその記載があるので女性達はそれに従う。 しかし、イスラムの出現以前にもすでに女性は、人前で安易に体や顔をさらさない習慣はあったではないだろうか。 日本でも中世の頃の貴族の女性達は外出時は体を覆う衣服を着用していた。 顔や体を見せるのは夫など特定の男性に限られていた。 イランでは、アケメネス朝期、貴族・上流階級の女性はベールを隔てて他人と会うのが一般的だった。 一般庶民からの隔離のためにベール、すなわち覆いものが使用された。 これがイスラム期に入り、貴族・上流階級の習慣であった覆い・・・すなわちチャドル着用の習慣が一般庶民にも浸透していった。 当初の覆いものは、顔もすっぽりと覆い隠す丈の長いものだったという。 しかし、19世紀になると、ヨーロッパ文化の影響もあり、おしゃれの一端として短い丈のチャドルを着る女性も現れた。 現在イランで、公の場では全身隙間もなく覆い隠した女性が自宅で覆いをとると、下はT?シャツ、短パンなどという姿も実は少なくはない。 チャドルは、男性を無用に迷わすことが無いように、女性らしい部分を隠し、女性の行動、個性を制限してしまうが、その一方で女性を保護している。 女性は保護されるべきものであり男性の保護の下に置かれる。 これは男性中心の社会の発想ではあるがと同時に女性保護の社会でもある。 体を覆い隠すことにより女性らしさが隠されるが、その反面、階級や美醜も覆い隠す。 隠すことにより、その下の隠された容姿をより神秘なものとする。 日本や欧米の女性達は、体を露出することにより自分をアピールするが、イラン及び、イスラム圏の女性達は、体を隠すことによりより自分の魅力を高める。 大きな考え方、表現の違いである。 体を覆い隠すことにより貧富の差を隠す。 チャドルの下にどんなみすぼらしい服を着ていても、またどんなに高級な服を着ていても外からはわからない。 チャドルは貧富の差を隠す。 しかし、レザー・シャーの時代には、チャドル着用が一時禁止された。 チャドルがボロ隠しの道具とみなされ、その後進性が否定されたのである。 この時真っ先に反対したのが下層階級の女性達であったという・・・・

チャドルとスカーフ

体を覆い隠すチャドルやスカーフは、イスラム世界での女性隔離や差別の象徴として欧米ではイメージされているが、イランにおける隠す習慣は、私達の現認識以上の長い歴史とそこには実用性もある。