ペルシア帝国の都ペルセポ

 リス、かつての世界の半分、   イスファハン

 北と西には4,000メートル

 の山々が連なり、

 東部に広大な砂漠が広がる

四季の美しい風景の中で、ペルシア文化、独自のイ

スラム文化を育んで来た~

出かけよう!イスラムの

教えのもと心温かき人々

が平和に暮らすイランへ



イラン人男性の髭


  イランでは、王者は肉体的に完璧でなければ王になる資格がない。 ヒゲの薄い、あるいは禿げの王様ではその権力も半減。 現在のイラン人の男達の中には意外と若禿げの人が多い。 毛はえ薬やアデランスを愛用している人も居るようである。 アケメネス朝の王達はいつも頭に王冠をかぶっていた。その重さはかなりのもので普通の人より早く禿げたのではなかろうか?! マケドニアのアレキサンダー大王は、部下にヒゲを生やすことを禁止していた。 戦いの時に敵にヒゲをつかまれると不利になるからである。 しかしながら、アレキサンダー大王自身は立派なヒゲを蓄えている。 古代からヒゲは権威の象徴であった。 ペルシア語で「リーシュ・セフィード」というと長老を表し、「彼はヒゲがない」というと威厳がない・・・信用できないなどの意になる。 「彼のヒゲを握る」というと、彼を意のままに操ることを意味する。

パーラビィー王朝を創始したレザー・ハーンは、1メートル90センチの長身で、人を威圧するにふさわしい体格であった。 しかし、彼の息子であったモハメットは、父親とは違いどちらかというと貧相な体格であった。 いつもシークレットブーツを愛用し、写真を撮るときはできるだけ長身に見えるようにカメラマンに注文をつけていた。 背が低いことが彼にとっての劣等感であった。 クレオパトラの鼻が低かったら何と・・・という話があるが、彼の背があと10センチ高かったら、イランの将来は違っていたかもしれない。

ヒゲの意味するところ

イラン革命の前後の時期には、イランの男性のヒゲはその人の政治的立場の象徴であった。 アゴヒゲは保守的なイスラム教徒のしる・・・口ヒゲは、初代大統領・バニーサドルを支持する人々の象徴・・・ヒゲなしは、西欧主義者・・・ その頃のイランの男性は、ほとんどがアゴヒゲを伸ばしていた。 しかし、現在では保守派と、無精者がヒゲを伸ばしているようである。